中国正月に「草の根経済文化エコシステム」と華僑の強さを思う

次男の同級生のリアンちゃん(中国系)の母Janeは芸術家で、彼女の夫Macと一緒にアート教室を運営しています。彼女は日本に数年間留学していたため、今も日本語が喋れるため、うちの妻にとってはよいお友達です。よく日本語と英語を混ぜて茶をしばきながら会話しています。

その父上は、マレーシアの中国系コミュニティーでは知らぬ人のいない著名なアーティスト(主に水墨画)、葉逢儀老師で、彼もまた日本に10年ほど留学・仕事をしていたため、日本語が大変にお上手です。

たまたま保護者会的なところで妻と彼女が出会い、話が合い仲良くさせてもらっています。(葉父娘を取材した動画がこちら。)一度お宅に家族で招かれましたが、Mac(林さん)も大変気持ちのよい男で話が弾みました。

その葉/林さん宅へ先日、Chinese New Year(CNY)の初めの方に招かれて、家族みなで独特の食事と花火・爆竹を体験してきました。CNYは通常、家族・親戚と極めて近しい人々のみで過ごすのが通例なのですが、妻の「traditionalなCNYを体験したい」という希望を彼らが聞き入れてくれたものです。我々が住むSubang Jaya市から車で20分ちょっとの隣の市Shah Alamへ、遅い夕方に行ってきました。両家の両親および子供たちの一部が集った15名程度の宴でした。

妻は以前に私の変態的な経歴などを葉老師に話していたらしく、興味を持って頂いていたようで、食事のときからずっと彼と話をしていました。話す間にどんどん日本語の勘が戻ってきたようで、彼が青春時代を過ごした70年-80年代の日本の情景を達者な日本語で1時間以上も語ってくれました。

早稲田大と複数の美大を卒業したのですが、その当時の学生運動の様子はもちろん書籍等では知っていましたが、まさか詳細な裏話をマレーシア人から聞くとは想像もしていなかったので(当たり前)不思議な体験でした。その間も背景では、英語・日本語・広東語・北京語・福建語が入り交じって聞こえており、これまた想定外の不思議な言語空間だなぁと思いつつ相槌を打っていました。

葉老師は大変豊かで自由な体験を日本で重ねたため、日本を心から愛していることが伝わってきました。日本に友人も大勢おり、これまで数多くの個展を東京や名古屋などの大都市をはじめ、九州や北海道の小さな町でも行なっています。

私には何度も、「先生、この人たちとてもいい連中なので、紹介するよ!」と言われていました。自分と同じ日本人の人脈を、中華系マレーシア人からもらう。汎アジアですね。この草の根の理解を経ずに、「アジア統一」を目論むなど、ただの妄想と暴挙です。

1962年に彼の兄が日本留学をして以来、葉一族の「日本往来」は伝統になっており、彼の娘にまで実に40年に渡り継承されている。我々一家もその伝統にいわば組み込まれた訳です。そして恐らく、我々の子供世代そしてその先まで、この友好関係は維持されることになるのでしょう。

こういう草の根レベルでの交流が各地で発生し、多様な「文化経済エコシステム」が発生すると、両国にとっても豊かな文化・経済活動が行われることでしょう。そして、そのシステムの中で活動する人たちが、特定の国が持つ弱点(少子高齢化、縮小国内市場、インフレ圧力、教育環境の悪さ、などなど)を乗り越えていく。内外ともに刺激を与える活力になるのでしょうね。

華僑は代表的ですが、マレーシアの中国系コミュニティも、家族/親戚関係を重視する文脈ですら、グローバルに開くその性質から、日本のように「内向き」になることがあまりないように思います。元から言語や文化に多様性を強く含む歴史を経ているため、内向きに求心力が働くときも、常に対になる遠心力が働いて外を向く、そんなイメージです。

CNYという極めて「内向き」であるはずのイベントにも、彼らの「外向き」な力を感じられたことが、私にとっては一番の収穫だったかも知れません。

ちなみに葉老師には何度も、「先生、中国はね、香港は勿論だけど、大陸にもぜひ行って仕事して下さい」とアドバイスを頂きました。これについてはもちろん御意で、引き続きベストの機会を窺います。

「50過ぎてもまだまだ若いんだから、才能ある人はどんどん外に出ないとね!」…私は、日本人にしては随分と「外に出る」種類の人間だと自負しているのですが、華僑の感覚からすると、まだまだ内向きなんでしょうかね…。凄まじいな。

凄まじいといえば、彼らが使う花火・爆竹の火力です。爆竹は映画の暴動シーンを、花火はテロリストが使う迫撃砲を想起させるレベル。夜中にドンパチやってるのに、「祝ったらええがな!」という「無礼講」な雰囲気があり、ご近所も誰も文句を言いません。

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